プロローグ
私が名古屋整形外科人工関節クリニックの門を初めてくぐったのは平成27年9月3日(木)でした。丁度お天気も良く、青空にクリーム色の建物と「名古屋整形外科人工関節クリニック」の青地に白抜きの文字色が新鮮でした。
それまで豊川市の整形外科個人医院に掛かっていたのですが、股関節の痛みがほぼ限界に近いと感じて紹介状を書いて頂きました。
(限界と感じるまでに13年ほどの歳月が流れました、先生は「いつか手術が必要になります」とはおっしゃっていましたが・・・)
受付を済ませて渡されたアンケートに「人工関節手術を考えていますか?」(正確には覚えていません)のような項目があり「いよいよ手術」と思う気持ちと「でも、もう少し先送り出来ないか?」と思う気持ちが交差していました。
先生の診察を受けたところ明確に「手術をすれば間違いなく痛みは治まります」と言われました。
その場で手術の日程の打合せがあり、私は少し事情があり全身麻酔が必要、しかも全身麻酔の先生の都合で11月下旬なら空いていると言われましたが、11月下旬では冬期に入り通院が大変という事で4月21日手術と決まりました。
その後、経過観察ということで月1回程度通院していましたが、1月頃になると右股関節は痛みがひどくなり、痛み止めの飲み薬は朝夕欠かせず、それでもまだ痛く手術を躊躇するどころが、4月の手術まで股関節が持つだろうか?という心配のほうが強くなりました。
このころは左股関節も痛みがひどくなり、立っていてもガクンと腰が折れ曲がるような感覚が来るようになりました。
そして手術の日がやって来た。
2016年4月20日(水) 晴れ
近くのデニーズで昼ご飯を食べて入院手続きを済ませましたが、部屋で結構長くまたされました。(まあ状況が状況だけに長く感じた???)
その後、明日の手術日に関してA4両面に書かれた日程の説明をして貰いましたが量が多く、聞いた事は右から左へ抜けていく感じ。
説明が終わって妹と思わず顔を見合わせ「年寄りではあれ理解出来るだろうか?」(この二人・・・67才の私と、64才の妹・・・年寄りとの自覚がないけれど世間では十分年寄り!)
やがて妹は帰っていった。
夜、ラウンジでも食事可能とのことで、コミュニケーションも必要かと思ってラウンジで食べてみましたがお姉様ばかりでこれには往生です。
(紅一点ならぬ黒一点???)
これに懲りて手術日以降、食事は病室に運んでいただきました。
(看護師さんの「男性一人では食べにくいでしょうから、病室でもいいですよ」とのお言葉に甘えさせていただきました)
部屋のテレビはインターネット閲覧まで可能になっていてモニターはアームを使いベッドの頭元まで持って来る事ができるものです。
素晴らしい!と思ったけれどパソコンの能力が低いのか応答がものすごく鈍い。持って来た時計が見辛くインターネットサイトの時計を表示するには最適なので時計を表示していました。
2016年4月21日(木) 晴れ
いよいよ手術当日!
手術を控えての不安と、環境が変わった事で眠れず何度か寝返りを打っていたら足が痙って最悪の夜でした。
午後から手術予定で落ち着きません。10時半頃手術着に着替え点滴が始まる。
午後1時半か2時に迎えに来てくれて手術室へ歩いて向かいました。手術室へ入りベッドに横になるよう指示があり、横になりました。
怖いので目をつむっていると「まだ麻酔は入れないから怖がらなくてもいい、今から酸素マスクを掛けます」と言われました。
少ししたら突然記憶がありません。突然という感じで記憶が切れているのです。
ふと気が付くと妹が呼びかけていました。妹の旦那の顔をも見えたけれど、その後再び記憶が切れました。次に気が付くと病室だったような気がします。その夜は流石に痛かったです。どこが痛いというのではなく、とにかくあちこち痛かった。
北村先生が下さいまして「巨大な寛骨臼(臼蓋)で大変だった」と教えていただきました。
何時頃だったか手術にも立ち会った看護師さんが来て、先程紹介したテレビ(パソコン)で手術前と、手術後のレントゲンを見せていただきました。やはり「手術は先生大変そうでしたよ」とおっしゃいました。痛い痛いと思いつつ、すごい設備が入っていると思ったものです。
後日先生に手術の事をお伺いしました。
「寛骨臼(臼蓋)」=骨盤側で大腿骨頭部の球状部分を受け止める側が、私の年齢の標準では4cm程なのだそうです。しかし私はその倍近い大きさがあり人工臼蓋を埋め込むのに曲率が合わないため自骨で人工臼蓋周辺を補強した(この辺は私の解釈でかなりいい加減です)そうです。
2時間単位くらいで看護師さんが来てくれては点滴を交換してくれます。
水は何時頃から飲み始めたのか(許可が出たのか)覚えていませんが、夜中に蓋にストローが付いたコップとペットボトルで飲んだような?ペットボトルの方は顔を横に向けて飲みました。
とにかく覚えているのは血栓防止のフットポンプが心地よかった事、夜中に自分のいびきで何度か目が覚めた事(やっぱり痛くても寝ていたんでしょ!)
2016年4月22日(金) 小雨
手術翌日
長い夜が明けて朝になり、7時過ぎに朝ご飯が来ました。
ベッドに起き上がって食べて下さいと言われても起きること自体無理があるような気がします。とにかく脱臼が怖いからと事前に何度も頭に叩き込まれているので身体を捻って起きることは無理なのです。少ずつ移動して長い時間掛けベッドの縁に腰を掛け、食事をいただきました。
しかし、とにかくあちこちが痛いのです。
朝食後トイレに行きたくなったので看護師さんにお願いをして行かせて貰いましたが、ガスだけです。この時は再び紙おむつを着けられました。
(紙おむつは手術後、尿パイプと同時に付けられていました)
幸い個室病室のため室内にトイレがありとても助かりました。
その後、紙おむつを外してもらい自前のパンツに変わります。この日ですが時間は覚えていませんが、尿パイプを外された時はとても楽になって嬉しかった。
ただ「水はどんどん飲め」なので(血栓防止のため1日1.5L以上水を飲んで下さいと手術前から頭に叩き込まれています)そして、腫れている部分はアイスノンで冷やせとの指示です。水をガバガバ飲み、冷やしていたら結果は簡単に想像がつくでしょう、必然的にトイレには頻繁に行く羽目になります!
でもこれ、起き上がる事さえ大変(身体を捻って起き上がるのは、脱臼が怖いため真っ直ぐ起き上がる)で腹筋運動は否応なしに出来てしまいます。え?もしかしてこれって強制リハビリ???
夕方リハビリの先生がいらして歩行器を使い廊下を歩く訓練をしました。
胸の高さにあった歩行器は腰の高さに下げられました。
(胸の高さでは体重が丸ごと掛けられますが、腰の高さでは体重は足で支えなければなりません。歩行器はバランスを崩さないためだけになります)
説明を聞くと痛いのは切り傷だけではなく、骨が若干長くなり(すり減る前の長さ?)その分、変形していた筋肉その他諸々が強制的に引っ張られて、その痛みがあちこちにあるためとわかったのです。
しかし猛烈に痛いのです。特にトイレに行く時!その分左足に頼ってしまい左の股関節がごりごりと音を立てます。可哀想な左ちゃん・・・。
でも、でも右に関しては、これから骨の心配は脱臼だけで、痛くても体重を掛けても問題はないとわかりました。
そして足が上がらないのです。まるで大きなおもりがぶら下がっているような感じ。まあ解剖学的な事はわからないのですが、筋肉を切り開いて骨を切り出す?のだから「筋肉もある程度切られている」=「足が上がらない」なのではないだろうか???
リハビリあるのみ!
巨人軍名誉監督の長島さんの言葉「リハビリは嘘をつかない」を思い出します。
2016年4月23日(土) 晴れ
手術2日目
またしても眠れず、朝を迎えました。サポーターのようなものが肋骨に当たって痛いため看護師さんにお願いしたら外してくれて楽になりました。
その後、手術創のガーゼを外して防水テープに交換していただきました、これで完全防水仕様となり、シャワーです。
手術後始めてなのでシャワー手順を繰り返しDVDで叩き込まれた後、見守っていただきながらシャワーを浴びました。
午後リハビリの先生がいらっしゃりリハビリ室へ行ってリハビリの開始です。
もう歩行器から杖に移行です。
ここまで手術から48時間経っていないのにシャワーを浴びてリハビリルームまで降りてくる事ができるなど夢?奇跡?いやいや名古屋整形外科人工関節クリニックの先生始め、スタッフ皆さんのお陰でしょう!
そんな事を考えたら不覚にも涙がこぼれそうになりました。
(最近涙もろい私です)
2016年4月24日 (日)晴れ
手術3日目
日曜日で病院はお休み、リハビリもお休み。痛さは筋肉痛です。太ももの外側と、膝下のやはり外側、かなり筋肉が張っています。そちらが主で、手術創の痛みは余り感じません。
でも頑張って廊下を歩きます、看護師さんが「きれいに歩く事が出来ますね」と褒めてくれて、お世辞かな???でも褒められれば悪い気はしません。
(豚もおだてりゃ木に登る~)
褒めて、おだてて、頑張らせる???皆さんお上手!
夜8時になったら「体操をしますから廊下に出てきて下さい」と放送がありました。日曜日でリハビリがないからそれを補うためだそうで、音楽に合わせて足を上げたり足踏みしたりです。
結構キツかった。
2016年4月25日(月) 晴れ
手術4日目
朝食後、北村先生の回診があったので、少し落ち着いたら左足の手術もと、お願いしました。
その後、退院セレモニーがあるから1階まで降りるようにと放送があったので1階に降りました。
自分が退院するわけではないけれど、見ていたら感動で涙が出そうになります。
だけど私の退院時ど~しよ?いいおじさんが涙ポロポロではね・・・
ちなみに退院セレモニーの説明です・・・
2階の病棟から降りてくるエレベーター横から、玄関まで(10mくらい?)この時専用の赤絨毯を敷きます。
先生が一番奥、後は病院スタッフの方々と入院患者がティッシュペーパーで作った花を付けた棒を手に持ち、ジュウタンの両側に立ってアーチを作り、そのアーチに中を拍手に包まれ玄関に向かいます。
満面の笑顔の人、あるいは感激で始めから泣いている人も・・・
2016年4月26日 (火)晴れ
手術5日目
5時半に目が覚め自己リハビリを行う。朝からやけにテンションが上がっています。
7時頃お腹がすいたと思って廊下を覗くが気配がない。
朝食は7時半だっけ?と思い水を飲んで我慢します。
7時半、まだ気配無し、腹減った!
8時まだ来ない。え?と思いナースステーションに行って聞くと「今日は喫茶店のモーニングですから遅くなりますよ」との事、ひもじいよう。
部屋に帰って水を飲む(せっせとお水は飲みましょうね!)
8時40分ようやくモーニング到着!
香りの高いコーヒーとクロワッサン、ケーキ、その他諸々。まずゆで卵とクロワッサンを頂き、次にケーキにトライ!まずケーキの周囲に貼ってあるフィルムを剥がしてフィルムに付いているクリームをペロリ!個室でよかったね!
お姉様方の前でこんなお行儀に悪い事などできっこないでしょ!
昼頃、リハビリの先生がいらっしゃいました。
(リハビリの先生は毎日病室まで迎えにいらっしゃいます)
マッサージの後、先生に付き添われ杖をついて初めて玄関から出て駐車場を歩きます。
気持ちの4月のいい風が吹き抜けていました。
「明日はもう少し先まで歩きましょう」とのこと、どんどん良くなってくる事を実感!
2016年4月27日 (水)晴れ
手術6日目
朝早く目が覚め自己リハビリを行う。ところが頑張りすぎて左の股関節がごりごりと音を立て出します。左足ちゃんゴメン!張り切りすぎてはダメ。
リハビリで先生に付き添って頂きコンビニ手前まで歩いて散歩の許可証をいただきました。
でも明日は雨の予報!私の心がけが悪いのでしょうか???
ここまで思い出しながら、メモを見ながら書いたところで、重大な発見、何と!この後空白の1日があるのです。ですからここでおしまい。
大体の概要はこれでおわかり頂けると思います。
後はリハビリと、ひたすら筋力トレーニングに励みます。
コレコレお終いじゃダメでしょ、最後=退院まで書かなきゃ!
・・・という事で、手術7日目以降はひたすらリハビリと自己トレーニングです。
そして、連休があったためでもありますが、この病院ではかなり長めの手術後15日目になる5月6日で退院(ここは5月5日に書いています)となります。
(普通は10日前後、長くても2週間です)
入院時(手術前)と比較して
股関節の可動域は大きく拡がりました。
豊川市の整形外科医院では「痛みは治まるが、可動域は変わらない」と聞いていたので、とっても嬉しい誤算です。
車の乗り降りは、スムーズにできるようになりました。
階段を上るには、今まで「左足で引き上げては右足を同じ段で揃える」という上り方でしたが、左右の足で交互に上る事が出来ます。
杖は使いますが、左足をかばうため(手術した足がもう軸足になっています)
先程コンビニまで散歩に行きましたが手術前、あそこまで歩く事はとても無理だった。
本当に手術してよかったと思っています。
同じ悩みを持つ方に、是非この事をお伝えできればと思います。
エピローグ
初めてこの病院に来た時「“世界一のありがとう”を目指して!」とあちこちに貼ってあるのを見て「すごいスローガンを掲げている」と思いました。
2回目にこの病院に来た日、手術日程が決まり「スマイルブック」というファイルを渡されました。
そのトップに入っていた紙に「あなたは元気になったら何がしたいか書いて下さい」と書いてありました。(例として「旅行」、「杖なしで歩く」など)
そしてその下には「その目標達成のためには何が必要かを書きましょう」とも。
これ自分で記入するのです。(ダイエットをする、リハビリを頑張るなど)
次のページには私たち「名古屋整形外科人工関節置換クリニック」は手術が目的ではなく、手術によって今まで出来なかった事や我慢していた事が出来るようになる事が目的なのです。
そのためのスタッフ一同でお手伝いします。と書かれていました。
(若干文言が違うかも、意味はその通りです)
私はこれを見て、涙ぐむほど感動しました「そうだ手術が目的ではなく、手術によってやりたい事ができるようになるのが目的で、手術はその目的を叶えるための手段なのだ」と。
ここからは私の妄想です。(上記の「感動しました」の続きです)
それだけではなく、もしかしてこの病院は既存の大きな総合病院、大学病院などの整形外科の「手術して終わり」という体制に疑問を持たれた先生が、ご自分の理想とする病院の形を描き、そして設立されたのではないだろうか?と。
ま、現実には莫大なお金が掛かるであろうし、あり得ない?
でも一患者としては、この妄想を信じたいのです。
そして先程の「スマイルブック」です。
自宅の平面図、玄関、お風呂などの写真を貼って提出するようになっているのです。
手術後リハビリの段階で、リハビリの先生が自宅の写真を見てそこで暮らすために必要な動作を訓練されるのです。
階段があれば階段の上り下りを、車に乗るのであれば車に乗る動作の訓練をして下さるのです。
私はここの病院しか知りませんが、おそらく大きな総合病院、大学病院などでは、ここまできめ細かな生活指導は出来ないのではないかと思います。
また、リハビリ(歩行訓練)の一環として病院周辺の散歩も組み入れられています。
それも1回目はリハビリの先生が付き添って注意点をおしえて下さり、2回目から一人で(多くは患者同士の仲間で)出掛けます。
これも病院内のフラットな床と、デコボコのあるアスファルト道路では全く違い、退院後戸惑わないようにという配慮からでしょう。
2回目のコース内にはコンビニが、3回目のコース内にはケーキ屋さんが組み入れられています。
ケーキ屋さんコースに行かれた方の中には、大きな紙袋を抱えて帰っていらっしゃる方も・・・
(あんなに買い込んで、どうするのでしょうか???)
何となくそれにつられてリハビリの散歩に出掛ける?でもそれもいいでしょう。何か張り合いがあれば人間頑張れますから!
看護師さんの事
この病院の看護師さん、一見わかりません。
普通の病院の看護師さんを想像すると、大体白っぽい制服(最近は少しカラフルなようですが・・・)ですが全く違うのです。
原則、ベルボトムタイプ(膝から下が拡がっている)のズボンと上衣の組合せです。形は同じ(だと思いますが?)ですが、色と模様の取り合わせが多い事!同じ組合せの方を見た事がありません。
色もショッキングピンクに近いピンクから紫、紺、スカイブルーなど様々です。
更に無地もあれば、かなりふざけたようなイラストから自衛隊などの迷彩模様もあるのです。
ある時、とてもシックな感じの組合せを着ている看護師さんがいらっしゃったのですが、近寄ってみると猫がパーマを掛けてサングラスをしているイラストが描かれていて「なんじゃこりゃ」です。
聞いたところ、かなり厚いパンフレットを渡され、その中から自由に選ぶ事が出来るのだそうです。
そして服装はともかく、皆さんとってもフレンドリー!10年来の知己に出会ったような笑顔で接して下さいます。
そして、そして
退院の日付が決まった日、看護師さんがいらして「退院後脱臼した場合の処置方法」という紙を下さいました。
今後、何より怖いのは脱臼なのです。
脱臼と判った場合、激痛と足が動かないからすぐにわかるのだそうですけど、万一そうなった場合の手順として
病院に連絡・・・24時間対応して下さるそうです。
患者IDと、主治医名を伝えれば、受け入れ可能か(万一不可の場合は、どこかを紹介?)
(多分これに備えてなのでしょう。入院の日に渡された書類の中に、「退院日が決まって以降は、急遽退院して頂く場合があります」という文言がありました)
その後、119で救急車を呼び搬送先(この病院)の住所、電話番号まですべて書いてあります。これを救急隊に渡せば良いと・・・
「痛いけれど、間違っても先に救急隊を呼ばないで下さい」と念を押されました。
この絶大な安心感!「何かあったらいつでもいらっしゃい」と言われているようで、まさに感謝です。
結論です。
(エピローグの後で結論?などと突っ込まないで下さい)
僅か1回だけの経験ですが、人工関節を医師から薦められた場合、間違いなく手術に踏み切った方がいいです。それもなるべく早く!
誰も手術は怖いです、でもこの手術の場合、間違いなく良くなる。
これは私の経験に基づく実感であり、そして私と同時に入院されていらっしゃる方々を見ていても全く同じだからです。
そして「早いほうがいい」というのは、痛みを我慢して歩いていると関節の変形がどんどん進んでしまいます。
結果として関節だけではなく周辺の組織(筋肉、筋?)も変形してしまうため、関節だけ元に戻しても周辺組織が戻らず、私が経験したようにひどい筋肉痛が起きます。
(それ以上の変形に関しては、私はわかりません)
実際手術説明を私と一緒に聞いていらした女性は、手術前歩く姿を見てもごく普通、よく見ると僅かに足を引きずっているくらいの方でした。
私より3日前に手術をされたそうなのですが、回復がものすごく早い、手術後すぐにきれいに歩いていらっしゃいました。退院も早かったです。
リハビリの先生にお伺いしたのですが、やはり変形がなければ術後の筋肉痛も起きず、ごく早く回復するそうです。
繰り返しになりますが、もし人工関節置換手術を勧められている方、早期の手術をお薦めします。
またこれを読んだ方でお知り合いの方がいらっしゃれば、是非早期の手術をお薦めしてあげて下さい。
私も今回は右でしたが、既に左の股関節に関しても予約済みです。
そして更に追加する・・・
何だかテレビショッピングの常套句のようですが・・・
5月6日(金)退院セレモニーに見送られて退院しました。
多くのスタッフの方が手を止め、そして主治医の先生までもが診察を止めて来て下さいまして「退院おめでとうございます、脱臼に気をつけて暮らして下さい」との言葉と共にこのような寄せ書きを下さるのです。
(写真は数日前に写したものです)
この上に更に↓このようなカードがセロテープで留めてあります。
そして多くのスタッフの方々も手を止めて送り出して下さいます。
その中を、赤絨毯を踏みしめ玄関に向かいます。
考え込むと感激して涙が出てしまうのであえてあまり考えず、大きな声で「ありがとうございました」と挨拶をして、玄関を後にしました。
そして退院後1週間(手術後3週間)
ここまで書かなければ伝わらないですね。
この1週間、ごく普通の日常生活が戻っています。
入院前と変わった所は足の痛みがなくなって、スムーズに歩く事が出来る。
車の乗り降りも楽に、そしてごくスムーズに出来ます。
唯一、どこへ行くのにも杖がお供になったくらい。
勿論筋トレ、ストレッチは行っています。散歩は左足に痛みが出るのでパス。
お風呂はまだシャワーです。
車は退院翌日から運転しています。退院時、先生からは「運転して大丈夫!」と許可をいただきました。
そして、退院後1週間目の診察に行きました。
自分で車を運転して猿投グリーンロード→名二環と片道1時間30分ほど。
診察をして頂き「順調ですね」との診察結果です。
お風呂もシャワーだけでなく、湯船につかってもいいと許可をいただきました。
(「出入りの時、脱臼だけは気をつけて下さい」との事ですが、我が家は手すりが一杯あるのでその点は大丈夫)
リハビリでも「筋力は以前より上がっています」との結果。
帰りにはショッピングセンターでショッピングカートを引いて、食料品の買い物までしてきました。
手術からわずか3週間!本当に感謝です。
今回は、ここで終わります。
次回、7月19日に左の手術を行います。
その時には「パート2」として新しいページを作成する予定です。